たたら製鉄 -その1-

『たたら製鉄』は、砂鉄を原料に、木炭の火力と釜士を用いた比較的低温での製鉄方法で、純度の高い良質な鉄を作り出すことができます。

奥出雲地方は良質な砂鉄と森林資源に恵まれていたことから、古来より 『たたら製鉄』が盛んにおこなわれて おり、8世紀の初めにはすでに鉄づくりの拠点となっていたようです。

鉄の需要が高まった幕末から明治初期にかけての最盛期には奥出雲地方で日本国内の鉄生産の8割を担っていたそうです。


しかし、明治に入ると西洋式の近代的製鉄法に押されるようになり、『たたら製鉄』は衰退の一途を辿っていきました。

吉田村(現在の雲南市吉田町)にある田部家は、室町時代に 『たたら製鉄』を始め、やがて鉄師と呼ばれ砂鉄採 取、木炭生産から鉄類の生産までのとりまとめをおこないながら地域に雇用を生み出していました。


清々しい9月のある日、雲南市吉田町を訪れ、『たたら製すがや鉄』を学びました。
今回は雲南市吉田町にある『菅谷たたら缶蔚』をこ紹介します。

鉄の歴史村地域振興事業団の朝日光男菅谷高殿・山内生活伝承館施設長を噌各たたら篇殿』に訪ね、お話を伺いました。

おけみ 「ここはどのようなことがお なわれていた施設ですか?」
朝日さん 「日本で唯一現存する、‘‘たたら製鉄”がおこなわれていた施設で
す。大正10年まで稼働していました。

ここでは、“脊千’’と呼ばれる、現代で言うところの工場長が“たたら製鉄” を取り仕切っていました。

マニュアルなどは一切なく、経験と勘で良質な鋼を生み 出していました。

方法としては粘土で大きな炉を作り、そこに30分おきに砂鉄と木炭をくべていくのですが、砂鉄を入れる一ふいのは直接“村下’’がおこなっていました。

そして職人が纏を使って風を送ると、炉から炎が2メートルも立ち上ったそうです。

この作業を三日三晩おこな うと炉を壊し、その中から4トン近くある、マグマのような真っ赤な塊を取り出しました。

塊の温度は1200度もあり、不眠不休のうえ蔚柄の中⇔大変な作業だったようです。

むらげ “村下’’は二学箱伝で、他人にはたたらの技術を一切教えなかったと言われています」

おけみ 「この施設は宮崎駿監督のアニメ映画『もののけ姫』の“たたら場”のモデルでもあると聞きましたが、映画を見 て来られるお客様は今でもいらっしゃいますか?」

朝日さん「以前は多くいらっしゃいましたが、いるのかもしれません。 現在は日本刀が好きで、日本刀がどのようにしてできているのかを見に来られる外国のお客様がけっこういらっしゃいます。“たたら製鉄”によってできる玉鋼は日本刀の材料ですが、現在の技術をもってしても日本刀ができるような優れた鋼(はがね)はできないと言われています」

おけみ「このあたりは今も施設を改修されていますが、いつ頃完成しますか?」

朝日さん「現在改修をおこなっているのは、村下たちか暮らした” 三軒長屋”です。完成するのは4年後ぐらいではないでしょうか。長屋の屋根は“こけら葺き’’と いう、栗の木で 作った材料を何十万枚も使って葺< ので、完成すると、びっ崩するほど見事 なものだと思います(笑)」

おけみ 「村下は家から通うのではなく職場の近くで暮らしていたのですね」

朝日さん 「このあたりは“菅谷たたら山 内 ’’と呼ばれ、たたら製鉄に携わる 人々みんなで職住隣接の集落を作 り、独特の社会を形成していました。高殿を中心と した狭い範囲の場所に、大銅場・元小屋・内倉・鉄倉・米倉が並び、その向こうに作業者が住む40軒ほど の長屋があって、多い時で約160名が暮らしていました。住 民は小さな村のようなコミュニティをつくり、‘‘たたら製鉄”が 衰退した後も助け合って生活していました。私もそのコミュニティで育った1人で、斜め前の家に村下だったお爺さんが住 んでいました。この仕事をすることがわかっていたら、‘‘たたら 製鉄”の話をもっと聞いておくのだったと、残念でなりません」 次号も『たたら製鉄』をこ紹介します。