出雲の笛作家(2020年11月発行)

出雲地方は神楽が盛んです。神楽というと舞手ばかりに目が行きますが、舞手が魅力的に舞えるかどうかは、「太鼓」「手囃子」「神楽笛」で構成される「お囃子」の腕にかかっていると言われています。私の主人と息子は、地元の神楽団「宇那手神楽」で笛の演奏を始めたばかりで、有名な笛作家の先生にお願いして2本の神楽笛を作っていただきました。以来、私はその先生にお会いしたいと思っていたのですが、この度、夢が叶いました。今回は、笛作家の樋野達夫さんを出雲市斐川町のご自宅に訪ね、お話を伺いました。

 

みか「樋野さんは笛を独力で作り始めたと聞き驚きました。笛と刃どこで出会われたのですか?」

 

樋野さん「『風雪流れ旅』という、北島三郎さんが歌っている歌がありますが、その歌のモデルは津軽三味線の名人であり和笛の演奏家でもあった、高橋竹山という方です。その竹山さんが演奏会で全国を回っておられた時に縁あってうちに宿泊され、お礼に笛をプレゼントしてくださいました。私は竹山さんの笛の音色に深く感動し、同じような笛を吹きたいと一生懸命練習したのですが、何度吹いてもかすれたような音しかでず、結局半年であきらめてしまいました。ところがその後、私が所属していた地元神楽団の宴会の時に遊びで笛を吹いてみたところ、♪ピーと、とても良い音が出たのです。笛が違うと良い音が出るのかなと不思議に思ったので、その笛を持ち主から借りて帰って、翌日山へ竹を切りに行き、借りた笛を真似て自分で作ってみたのが笛作りの始まりです。26歳の時のことで、以来、笛作りに魅せられ、様々な工夫をしながら50年間、たくさんの笛を作ってきました。」

 

みか「神楽笛はかつては吹く人が自分で作っていたそうですが、自分で作ると正しい音にするのがむずかしいように思います。どのようにされていたのでしょうか?」

 

樋野さん「神楽笛にはヨーロッパ音楽の楽譜のような基本になるものがありませんから、見様見真似で伝わってきたわけです。笛を作るのは自分だし、吹くのは見様見真似。ですので、今でも神楽団ごとに音律が違います。神楽の音階はヨーロッパのドレミファ音階ほど正確ではありませんが、正確ではないからこそ独特の神楽の音に聞こえます。郷土芸能の本来の目的は完成度を競うことではなく、稽古を通じて人間関係を深めること。一生懸命笛を吹くことこそが大事で、音があっているかどうかはそれほど重要ではなかったのです。私は依頼されて神楽笛を作りますが、その神楽団の特徴を生かしながら作ります。」

 

みか「和笛は使うほどに良い音が出ると聞いていますが、どれぐらいの間、吹けますか?」

 

樋野さん「昨年、私が笛の制作を初めて50周年を迎え、その記念として、楽器の神様である『美保神社』で合同演奏会を行いました。私が作った龍笛を持っておられる全国の方に声をかけたところ、30名が集まってくださいました。中には私が40年前に作った笛を持っている方もいらっしゃいました。その方は『今でも音色がだんだん良くなっている』と話しておられ、『笛を買ってもらわないと私の商売が成り立たないので、そろそろ新しいのに替えてください』と言ったのですがね(笑)。笛は、私が努力して作っても完成度が50%にしかなりません。あとの50%は使う人がいかに笛を生かしていくかで変わります。“吹く”というのは命を吹き込むこと。限界が何年かはわかりませんが、毎日吹いて毎日手入れをするのが理想です。」

 

みか「演奏家としても有名な樋野さんは、様々な国で和笛の演奏をされていますが、海外の方にも日本の笛の心が伝わりますか?」

 

樋野さん「ウィーンに行った時には『ヴォティーフ教会』という、とても大きな教会で演奏しました。ミサの時で、演奏が終わり牧師様の後について真ん中の道を歩いて退場していると、たくさんの信者の方々が私に握手を求めてこられました。顔を見ると皆、涙を流しておられ、その時に、文化は違っても心は同じなのだと感じました。また、寧夏回族自治区(中国)では、面白い体験をしました。寧夏は、砂漠のオアシス都市で、話によるとその日まで3カ月もの間、雨が降っていないとのことでした。私が冗談半分で砂漠の小高い丘の上に登って龍笛を吹いたところ、その晩に雨が降り出しました。そうしたら、地元の人に神様のように扱われましてね(笑)。雨が降ったのは偶然だと思いますが、龍神は水の神様なので、龍笛が雨を呼んだのかもしれないと考えると浪漫がありますね」

 

みか「これから挑戦してみたいことはありますか?」

樋野さん「計画は立てない主義ですが、研究していることはあります。それは『心に残る音色とは何か?』ということ。心に残る音色とそうでないものの違いは、おそらくテクニックではなく、その音の中に超音波があるかないかだと考えています。これからも、心に残る音色を出す笛の研究を続けたいと思います。」