朝礼でecoについて考える(2021年6月発行)

弊社の朝礼は、日替わりの司会者が2分間のスピーチをすることから始まります。
内容としては、できるだけ仕事と関係のないプライベートや趣味のことを話すことになっています。今年から、ちょっと趣向を変えて『月のテーマ』を定めてみようと思い、1月は『感動』、続いて『食』『自然』といったように定めて、毎日の意見交換を楽しんでいます。
4月のテーマは『eco活動』。司会を務めるスタッフからは、食や環境に関わるeco、毎日感じるeco、自分が実践しているecoなど、1ヵ月の間に様々なecoへの思いを聞くことができました。「水を出しっ放しにする亭主との戦い」のエピソードなど、ecoにまつわる楽しい逸話に大笑いしたり。そんな話を毎日聴いていると、『eco活動』というのは人の価値観や欲求が絡み合う、本当に深いことのように思えてきたのです。
環境のecoである「ecology(エコロジー)」と、経済のecoである「economy(エコノミー)」は繋がっており、どちらか一方だけを意識してもうまくいかないものです。上手く環境と経済のバランスをとることができれば何も問題ないのですが、環境に優しくすると財布に厳しくなる、というようなことが結構あるようで、それでも1人1人が手間とコストとの間で葛藤しながら、ecoを意識しようと頑張っている様子がよく伝わって来ました。
さらに、ecoにもいろいろなタイプがあり、例えば「もったいない」と考えるecoと、“断捨離”などの「捨てよう」と考えるecoは、交わる部分もあるけれど、一見相反するものだったりします。
このテーマは私のプライベートとも重なります。今年2月に実父が死去したことから、今は空き家になった実家を片付けているところです。私の両親は戦中戦後を経験し、ものを大切にして生きてきた世代なので、長年にわたって購入した膨大な衣類や書類が、数多くの箪笥や本棚に、捨てられることなく保管されていました。なので、会社では毎日ecoの話をしながら、他方では毎週末に実家に帰ってモノを大量に廃棄するという状況が1ヵ月続き、自分の中のジレンマも生まれます。捨てることは決してecoではないでしょうが、かといってそのまま大事に保管することがecoとも思えず…こんなに買うなよ溜めるなよと嘆く気持ちと、大切な遺品を捨てたくはない気持ちが闘います。
モノを買いたい、という欲求は誰もが少しは持っているものです。もったいない、取っておけばいつかは使えるのでは?誰かが使うのでは?という気持ちも。
その半面、モノがあふれている状態で過ごすよりも、スッキリきれいに片付いている暮らしが良いという気持ちもあるでしょう。
『eco活動』は、人の価値観や欲求が複雑に絡み合う、とても人間味にあふれた活動のように思えます。
“地球環境”というと、存在が大きすぎて、守ろうと努力しても効果を実感しにくいものです。けれど、結果は見えない中でも皆が精神的、経済的なバランスをとりながら進んで行く『活動』をすること自体に、もしかしたら意味があるのではないでしょうか。
思いつきで設定した『eco活動』というテーマですが、それは思っていたよりもずっと高度で複雑、そして高尚なものなのだなと、しみじみ考え込んだ4月の体験でした。