月山富田城と戦国武将(2020年4月発行)

安来市に『月山富田城跡』があります。標高197mの月山に、1185年頃に築かれた山城で、後に山陰の覇者と呼ばれた尼子氏が本拠を構え、170年にわたる尼子氏六代の盛衰の舞台となりました。現在は城跡のみ残っています。戦国武将というと、織田信長、上杉謙信、伊達政宗など、有名どころの武将を思い浮かべますが、月山富田城にもカッコいい武将が存在していました。今回は安来市観光協会を訪ね、作野宏美さんにお話をお聞きしました。


あけみ「尼子氏といえば、NHK大河ドラマ『毛利元就』で、毛利元就のライバルとして尼子経久が登場していました。名優の緒形拳さんが演じていたので、静かで偉大な謀将というイメージがありますが、本当はどんな人だったのですか?」

作野さん「尼子氏は経久、晴久、義久の三代で、山陰・山陽の11ヵ国の制圧に成功し、有力な戦国大名となりましたが、経久はその礎を築いた人です。経久は、統制力で人を引っ張るタイプではなく、豪快で欲がないといった人間的な魅力に惹かれ、多くの人が従うタイプだったと言われています。経久の死後、月山富田城は大内義隆や毛利元就などに攻められ、何度も攻防戦が行なわれましたが、最後は兵糧攻めにあい、1566年に力尽きて開城しました」

あけみ「尼子氏に仕えた武将といえば山中鹿介が有名だそうですが、こちらへお邪魔するにあたり、夫に『山中鹿介って何をした人なの?』と聞いたら、『知らないの??』とびっくりされました。島根の男性はなぜ山中鹿介を知っているのですか?」

作野さん「山中鹿介は地元のヒーローなので、いろいろな場面で知り、憧れる男性は多いと思います。少し前は全国的にはマイナーで、好きな武将は?と聞かれて『山中鹿介です』と言いにくかったのですが、現在は知っている人も多く、堂々と言えるようになりました。歴史マニアや、歴史好きの女性“歴女”に好まれているだけでなく、NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』に登場したことでその存在を知り、好きになった方も多いようです。板垣退助や勝海舟も素晴らしい武将の一人に名前を挙げていますし、ゆるきゃら・ふなっしーも好きだと公言しています」

あけみ「山中鹿介のどんなところが多くの人に評価されているのですか?」

作野さん「山中鹿介は、月山富田城が開城した後に活躍しました。尼子家再興のために忠義を尽くしたことが人気のポイントで、三日月に向かい『願わくば、我に七難八苦を与え給え』と祈ったという話はとても有名です。また、武勇の持ち主でありながら、イケメンだったことと、若くして亡くなった悲劇の武将であることが、女性ファンが多い理由かもしれません」


あけみ「月山富田城は今は城跡のみを残していますが、山を登って城跡を見に行かれる人が多いそうですね。城がないのに、頑張って登る人が多いのはなぜですか?」

作野さん「月山富田城は日本100名城に選ばれていますし、歴史学者・小和田泰経氏(戦国時代に関する研究で知られる歴史学者・小和田哲夫氏の御子息)が様々な角度から検証した結果、日本の山城No.1に選んでくださったことも、登ってみたい理由だと思います。麓にある道の駅『広瀬富田城』から城跡までハイキングコースが整備され登りやすくなっています。ハイキングコースの入り口から見どころ満載で、軍用道や石垣など、戦国時代の面影が諸所に残っています。片道約1時間半ほどかかりますが、尼子・毛利の攻防を想像しながら、ぜひ歩いてみていただければと思います」

あけみ「最近、神社やお寺の“御朱印”が人気ですが、お城には“御城印”というものがあるそうですね。月山富田城には御城印がありますか?」

作野さん「もちろんです!月山富田城の御城印は地元の広瀬和紙に月に祈る山中鹿介が描かれ、歴代城主の家紋の印が押されています。御城印発祥の松本城(長野県)、浅井長政の小谷城(滋賀県)、同じ島根の松江城など、全国にはいろいろな御城印があり、その数はすでに100種類を超えているとか。各地のお城を訪ね、集めていただければと思います」


次号は月山富田城について詳しくナビしたいと思います。(あけみ)