私事であり、少しばかり暗い話で申し訳ないのですが、今年2月に父を亡くしました。1年半前に亡くなった母の後を追うように逝ってしまいました。
わが家は現在、神道なので父の葬式は神式で執り行ないましたが、実は1年半前の母の葬儀は仏式でした。
というのは、母を亡くして数ヵ月後、父が突然「家内は生前、わが家は出雲大社とご縁があるので、神道にしたいと言っていた」と言い始めたのです。そして、そのことを思い出したら突然「神道にせねばならん!」と、主張し始めたのです。
そんな話を聞いたこともない私は戸惑いましたが、思い込んだら猪突猛進型の父には敵わず、かくして吉岡家は、出雲大社 北島国造館の『出雲教』に改宗することになったのです。
事務的な手続きなどは全部私が行なわねばならず、骨の折れる仕事でしたが、仏教から神道に改宗するということはなかなか経験できないことで、結果的にいろいろなことがわかって良かった面もあります。
ご先祖さまも仏さまから神さまになっていただくので、出雲教の方から「仏さまは何人いらっしゃいますか?」と聞かれ、慌てて先祖を調べることになりました。しかし、戸籍では明治以降の家系しか解らないため、これから離脱しようというお寺に頭を下げて、「過去帳」を調べていただきました。おかげで自分のルーツ、自分の家系を初めて確認し、これまで「遠縁」で済ませていた親戚関係も、把握することができました。
また、戸籍を見て初めて、母が双子で生まれたということを知りました。もう一人は生まれてすぐに亡くなっていたのですが、実は父も双子なので「私は双子同士の子供なのだ」という事実を、何と!55歳にして初めて知りました
。姉にこのことを伝えると「私は双子を産む確率が高かったんだな」と驚いていました。母は知っていたのかどうか、生前に一言も言ったことがないので今となってはわからないのですが、私たちがそういう驚愕の事実を知ることができたことは、改宗という”きっかけ”があったおかげと思います。
神道への改宗が父の最期の仕事だったということもあり、この度の神道の葬式“神葬祭”は感慨深いものがありました。仏教の“葬式”は白・黒で厳かに見送り、送りながら親族が集まり語り合うことで心を慰め合うような感じですが、神道の葬式“神葬祭”は“お祭”に位置付けられており、賑やかに雅楽の演奏も行なわれ、父が神になるお祭なのだと思うと心救われるところがありました。宗派を問わず、残されたものが救われる仕組みがあるのだなと、しみじみ思います。ただ、母が神道に改宗したいと言ったのが父の勘違いではないと良いのですが…。
向こうの世界で母が「私はそんなことは言ってない!せっかく修行して仏になったのに、今度は神になる修行をしろとはどういうことなの?」と、夫婦喧嘩をしていなければいいなと、懸命に祈っています。(笑)