息子の巣立ち(2021年5月発行)

私ごとではありますが、一人息子がこの春、大学に進学し、大阪で一人暮らしを始めました。

息子には、子供の頃から「大学には行かないでいい。その時間を使って世界を放浪してくればいい」と言って育ててきました。

そういう教育をしてきたのは「これからの時代、どんな力を持っていれば生きていけるのかはわからない。大学へ行けば、大きな会社へ行けば、何かが保障されるという時代ではない」と考えているからです。親としては、何があっても生き抜く力を身につけて欲しいと願うもので、真のグローバル化が進むこれからの時代に、世界中の民族、文化、言語、習慣、宗教、価値観…そういったものに直接触れることが、大きな財産になるのではないかと思うのです。

しかし、高校3年生になってこのコロナ禍になり、テニスを頑張ってきた息子が高校3年間の集大成として照準を合わせていた高校総体や国体なども開催されない、そんな中で息子から「進学したい」と告げられたのです。彼の気持ちを考えると不完全燃焼もあるだろうし、また世界を放浪しようにも旅立てない状況でもあり、不本意ながら大学へ行かせることにしました。いざ巣立つとなると、行く先が世界放浪と大阪とでは、親としても安心感が違うもので、落ち着くところに落ち着いたという安堵感があるのも事実です。進学した大学は、1年後にはほぼ全員が海外へ留学するシステムのようなので、その頃には渡航できる状況となり、思う存分に見聞を広めて欲しいなと願っています。

そんな親の思惑があるものの、今回驚いたことは、今どきの若者がTwitterやLINEなどのSNSを通じて、入学する前に既にコミュニティを作っているということです。息子もSNSを利用し情報交換をしていたようで、入学式には見も知らぬ土地の大学に、何人も知り合いがいました。

そんな現実を見て、「これからの時代、こうすればいいんじゃないか」といった親の古い考えを押し付けるのは、もう止めようと思いました。

息子たちの世代は、ハイスピードで変化する時代に柔軟に対応し、時代の流れをきちんと理解し読んでいる世代です。彼らの生きる力を信じて任せるのが一番良いのだろうなと思います。そんな期待が膨らむ反面、「ああ、親のつとめが終わっちゃった」という淋しさを感じます。多くの人が通った道なのだろうけれども、もう親としては口は出さずにカネだけ出して、あとは見守るしかないのだろうという切ない気持ちを今、しみじみと噛み締めています。