西条柿の名産地(2021年9月発行)


島根県出雲市平田地区は、西条柿の名産地。『ひらたの柿』の西条柿は、2012年に行なわれた『野菜ソムリエサミット』(テーマ:柿)で大賞を獲得し、日本一美味しい柿と言われています。しかし、西条柿は生で食べるには渋を抜く手間がかかるうえ、日持ちしないので、全国的には取り扱い量が少ない、知る人ぞ知る希少な柿となっています。また、その品質の高さから、高級な干し柿の原料としても知られています。
今回は、出雲市平田地区で、西条柿をはじめ各種の柿を生産する『柿壺株式会社』を訪ね、小松 正嗣 代表にお話を伺いました。


あけみ「聞くところによると、小松代表は島根県のご出身ではないそうですね。県外の方がどうして出雲で柿農家をされているのですか?」
小松代表「私は兵庫県加古川市出身で、大学入学と共に島根に来ましたが、一旦は加古川に戻り就職しました。
2011年の東日本大震災の時に、岩手県でボランティア
活動に参加したのですがあまり役に立つことができず、
自分には生きる力が備わっていないことを痛感しました。
そして、生きる力を身につけるため“農業”という仕事を選びました。
それからは飛騨高山のトマト農家の手伝いをしたり、出雲にある大学の後輩の牧場で堆肥づくりをしたり、住み込みで働きながら農業の勉強をしました。
出雲の後輩の牧場で働いていた時に、『農業をやりたい若者がいる』との噂を聞きつけ、私のところに柿の関係者がスカウトに来られました。その時、私の頭の中には“柿”というものがまったくなかったので曖昧な返事をしたのですが、たまたまその日、夕飯の食卓に西条柿が並び、その初めて見る縦長の形に驚き、食べてみるとめちゃくちゃ美味しいことに感動し、すっかり西条柿に魅了されました。西条柿についていろいろ調べたところ、共同選果部会があり採算も合いそうなので、柿農家も良いのではないかと思い始めました。そこで、出雲市が開設している『あぐりビジネススクール 柿チャレンジ講座』の受講を始め、同時に、作り手がいなくなり放置された柿園を譲り受け、2014年から1.5haの柿園で柿をつくり始めました」

あけみ「それから順調に規模拡大し、現在の株式会社を設立されたのですか?」
小松代表「実はそう簡単にはいきませんでした。柿農家を始めてみるとまったく儲からず、1年で経営状態がボロボロになってしまいました。儲かるはずの柿栽培がなぜ儲からないのか不思議に思い、他の柿農家さんに話を聞いてみると、柿の業界は安定的に儲けることがむずかしいほど低単価で取引されていることがわかりました。このままではまずい、採算が取れるようにするにはどうしたら良いかと考えたところ、お客様に直接販売する方法しかないと思いました。そうなるとある程度大きな集荷施設が必要で人手も足りないので、人を雇うため2018年に法人化し『柿壺株式会社』を設立しました。今はスタッフ9名で美味しい『ひらたの柿』を全国の方々に食べてもらいたいと、日々奮闘しています」

あけみ「以前に知人から、こちらの西条柿をいただいたことがあり、それまでの概念を覆すほどの甘さと美味しさにびっくりしました。私がいつも食べている西条柿の中でもこちらのものは飛び抜けて美味しいように感じますが、何か秘訣がありますか?」
小松代表「時々そう言われますが、私たちはまだまだ新米なのに、どうしてかな?と不思議です。ただ、木の管理は一生懸命しています。特殊な技術を持っているわけではありませんが、きちんと発酵をした堆肥を施したり、除草剤を使わず草刈りをしたり、そういった1つ1つの積み重ねが良い土を作り、結果としておいしい実をつけるのだと思います」

あけみ「今日のような暑い日の農作業は本当に大変だと思いますが、どうやってモチベーションを維持していらっしゃいますか?」
小松代表「私は、生産者が消費者から離れてしまうと絶対に良いものはできないと思っており、弊社ではどんなに忙しくても、スタッフ全員が1年に1回は試食販売でスーパーなどの店頭に立ち、お客様の感想を直接お聞きするようにしています。『おいしい』の声をいただくと、それが私たちのモチベーションになります。弊社の柿園は現在10haで東京ドーム2個分以上の広さがあり、柿園としては半端なく広いのですが、美味しい柿をつくるためには手抜きは厳禁です。今の季節は特に草刈りが大変ですが、試食販売の時のお客様の顔を思い浮かべながら、頑張っています」

私は晩秋の柿のある風景が大好きです。柿の生産者は減少しているそうですが、柿壺さんのような若い人たちが柿の素晴らしさを伝えることで、これからもずっと、柿のある風景が残るといいなと願っています。(あけみ)