松江市宍道町来待地区には1400万年前に形成された凝灰質砂岩が大量に埋蔵されており、その埋蔵量は世界でも有数だそうです。来待地区で採れる凝灰質砂岩は『来待石』と呼ばれており、柔らかく加工しやすい材質が特徴で、『出雲石灯ろう』などの伝統的工芸品を始め日常のものなどに幅広く使われています。
今回は来待石の歴史・文化を紹介しているモニュメント・ミュージアム『来待ストーン』を訪ね、学芸員の古川 寛子さんにお話を伺いました。
あけみ「来待石といえば、『出雲石灯ろう』を思い浮かべます。日本庭園のある旅館で時々見かけますが、『出雲石灯ろう』はどんなところが魅力なのですか?」古川さん「石灯ろうは苔や、風化が味わいとなります。来待石は他の石と比べて苔がつきやすく風化も早いことから短期間で味わいが出やすく、『出雲石灯ろう』は庭に置いて1、2年もすると昔からその場所にあったかのように周りの環境に馴染むのが魅力です。
また、『出雲石灯ろう』は美術品としても人気が高く、国の伝統的工芸品として認定も受けています。全国にはたくさんの灯ろうの産地がありますが、砂岩で灯ろうを作っている中では来待は最大の産地です」
あけみ「私の父の実家のお墓は昔、苔がついた古びたものでしたが、あれは来待石だったのでしょうか?」
古川さん「日本では昔から、お墓の石に地元の石が使われてきました。
出雲地方の昔のお墓は、来待石のものが多いと思います。
来待石は風化が早く百年、二百年で風化し、土に還ります。昔は今のような1つのお墓にみんなが入る“家墓”ではなく、1人1基のお墓だったので、百年ぐらいで風化して三代後になった頃に土に還る来待石は、いつまでも墓石が残らずお墓の整理がしやすかったようです。
しかし今は、“家墓”が主流なので、苔がつきにくく掃除がしやすい表面がツルっとした御影石のようなお墓が人気です。
それでも来待石のお墓を建てたいというご相談が年に1、2件はあります。数百年~数千年の耐久性のあるものより、百年ほどで土に還る方が良いと、御影石の墓を来待石に戻される方もいらっしゃいますし、最近は墓じまいされる方も多いので、新しくお墓を作る場合にも、土に還る来待石を選ばれる方もいらっしゃいます」
あけみ「灯ろうや墓石以外にも、来待石が使われているものがありますか?」
古川さん「島根県に住んでいると、来待石は身の回りにありすぎて気づかないほど、たくさんのものに使われています。古いお家の蔵の床だったり、石段だったり、神社の狛犬にも多く使われています。来待地区は宍道湖に近いことで石の運搬に水運を利用できたことから、来待石は北前船に乗って遠くは北海道まで運ばれており、今でも日本海側にある他県の神社に点々と来待石の狛犬がいます。
また、来待石は陶器を焼くときに使う釉薬の原料としても使われます。出雲地方は屋根が赤瓦の家がたくさんありますが、この瓦は『石州瓦』と言い、来待石を粉にした『来待釉薬』を使うことで赤茶色になります。石州瓦は塩害や凍害に強いことから、島根県の港町や豪雪地帯に赤瓦の街並みが多く見られます」
あけみ「こちらは採石場の跡地をミュージアムにしていらっしゃいますが、今も現役の採石場はありますか?」
古川さん「ここは昭和20年頃まで現役だった採石場です。昭和30年〜40年頃、来待石は7億円産業と言われ、『出雲石灯ろう』も飛ぶように売れていました。しかし、近年は、日本庭園は松の剪定にお金がかかるとか、灯ろうが庭の様式に合わなくなったなどの理由で灯ろうのニーズが少なくなり、30箇所以上あった来待石の採石場も、今ではこの近くに2箇所を残すのみとなっています。
現在、『出雲石灯ろう』は海外で人気があり、中国やヨーロッパの方から購入のお話をいただいたりするのですが、商品代の2倍も3倍も輸送量がかかるので、16万円の灯ろうの送料が30万円もかかると見積もりをお出しした時点で二の足を踏まれます。なんとか良い方法があればと模索中です」
あけみ「こちらでは学ぶだけでなく、来待石の加工体験もできますね。どのようなものを作ることができますか?」
古川さん「来待石は加工がしやすいので子供も彫ることができ、ペンダントやレリーフ等を作れます。身内が亡くなられ、工房に通ってお地蔵さんを彫られた方もいらっしゃいました。アクセサリーなど簡単なものは短時間でできるので、ぜひ一度体験してみてください」