朝4時の布団の中で
11月中旬、首筋に痛みを感じて目覚めた朝がありました。以来、右の腕から親指にかけて、ちょっと痺れのようなものを感じることが度々あって「寝違えたかな?神経を痛めたかな?」と、気になっていました。
それから1週間後の朝、目覚めると、今度は目の前に小さな埃や糸くずのようなものが入り混じった無数の点々が現れました。汚れて藻や苔まみれになってしまった水槽の水が目の前にあるような状態です。驚くのと同時に、気になっていた痺れの症状に加えての目の状態だったので、脳梗塞か脳卒中の前触れではないかという心配が、まず最初に浮かびました。
すぐにスマートフォンで“視界狭窄”“ぼやける”“手の痺れ”といったキーワード検索をしてみたところ、「脳の病気」がいくつかヒットしましたが、これだという情報にはたどり着かず「脳の病気の恐れがある」という、曖昧な情報ばかり。目覚めたのは朝4時頃でしたので、布団の中で夜が明けるのを待ちながら様々なことを考えました。
病気とは縁のない生活
私は普段、健康食品が身近に溢れている暮らしをしていて、病気というものに縁のない生活をしてきました。なので健康食品の仕事をしているにも関わらず、実は病気になる恐ろしさを実感した経験がないのだということに、この時初めて気付きました。そして、それまで真剣に考えたことのないような不安が、頭の中で巡り始めたのです。
脳梗塞だとすると、夜明けを待たずに救急車を呼ぶべきか、いやいやそれほどではないだろう大袈裟だ。しかし、この症状では必ず手術になるだろうな。1~2週間の入院ならこの仕事は社員に頼めば良いけど、それ以上長引くとあの仕事はどうしようか。いやいや、それよりまずこの症状を、心配症の妻が気絶しないように説明するにはどうすれば良いだろう、入院するなら手間をかけないように近くの病院にしよう。大学に入学したばかりの息子の学費は払えるだろうか、万が一のことがあると…などと不安を抱えながら布団の中で時を過ごしました。
CTで問題がないことが分かり一安心
さて、結果を言うと、病院では手の痺れと目の症状は関係性が認められず、心配したことは何ひとつ起こりませんでした。
まず、朝一番で神経内科へ行きCTを撮ってもらったところ、特に問題がないとのことでした。次に、眼科へ行き検査してもらったところ、眼球の中で出血していると言われました。目の前の無数の点々の正体はこれだったのです。珍しい症状でもなく、飲み薬で治癒するという診断で、とりあえずホッとしました。
手の痺れも、どうやら脳からではなく、単純に寝違えが原因で神経が傷んだ、一過性のものだろうということでした。
改めて”健康は大事”
「健康は大切」と誰もが言います。私も仕事柄、これまで人一倍、健康を意識してきたつもりでした。
しかし今回、数時間ではありますが、それを失うことのリスクが目前に迫ったことで、健康の大切さを本当に実感できたように思います。
時あたかも、出雲に神様がお集まりの「神在月」に起こったこと。八百万の神々が人の縁について話し合われる中で、私については『あいつにはそろそろ用心をさせたほうがいいぞ』と警告を与えてくださったのかなと思っています。
ずっと健康で、それをあたりまえだと感じて暮らすと、健康食品がいつも身近にあるにも関わらず、ときにはついつい飲み忘れてしまうこともありました。けれど今回の体験は、病になってからでは遅い、健康を保とうというモチベーションを強く持つのに十分な恐怖体験でした。怖かったから改めるというのは幼稚な動機かもしれませんが、本当に体を労ります、健康を心から大切にしますと神々に誓った、2021年の神在月の出来事でした。